hanaブログ

個人的な備忘的なブログです。

流産についての私的な記録

2回目の妊娠で流産した。

生まれることのなかった彼あるいは彼女には、お墓もなく、戸籍も残らない。記憶が新しいうちに書き残しておこうと思う。

 

経緯

24歳で結婚、26歳で第一子を妊娠出産し、今回28歳で人生2回目の妊娠、8週で完全流産となった。

もともと生理周期は安定せず、第一子も授かるまで半年くらいかかっている。産後1年以上生理が再開しなかった。産後3回目にあたる生理が2020年5月末からあり、次の周期で妊娠した。6月末に検査薬陽性。7月11日に胎嚢確認・心拍確認(これについては疑問が残る。後述)、7月20日夕に少量の出血が始まり、7月24日に完全流産となった。

 

妊娠判明から流産まで

第一子が生後11カ月で卒乳し、産後1年と6週間ほどで月経が再開した。再開後から基礎体温をつけている(子どもの起床タイミングによってはくわえている体温計をもぎ取られるため、あまり信頼できる数字は取れていない)。

第一子出産前からそうなのだが、だいたい低温期が3〜4週間近く続き、高温期はなかったり6日程度で終わったりして月経が始まる。第一子妊娠の時には、半年ほど基礎体温を測っていて、はじめて2週間で低温期が終わり、はじめて迎えた高温期16日目ごろに妊娠の可能性に気づいた。今回は低温期がおそらく2週間程度で終わったことで、すでに淡い期待を持ちはじめ、4w3d(w=週、d=日。最終月経開始日からの日数。以下同)ごろにはフライングで検査薬を使った。その時にはかなり薄い反応だったため、4w6dで再度フライング。今度はそこそこの陽性反応だったため、夫に報告し、5w3dで産婦人科を受診した。

初回受診(5w3d、7月4日)では胎嚢が確認できず、1週間後(6w3d、7月11日)に再診、そして胎嚢確認、「心拍も見えますね」とのことで、母子手帳をもらうよう指示を受けた。予定日は2021年3月3日。心拍確認の翌週に保健センターで母子手帳をもらった。

7w5dにあたる7月20日、少量の出血が始まる。この時にはまだ、ちょっとしたトラブル程度で、数日後に完全流産する可能性はあまり感じていなかった。上の子を抱っこしてスーパーで米を買って帰る、上の子との遊びでステッパーを踏み込むなどしていたので、ちょっと無理だったかな、気を付けよう、という程度。

翌21日(7w6d)には出血量が増え、じわじわと流産を意識し始める。前日にはおりものシートを使っていたが、間に合わず、生理用ナプキンに変えた。鮮血あるいは赤黒い血で、ほとんど生理だった。

22日(8w0d)に受診。医師からは以下の通り話があった。なお、かかっている産婦人科には医師が10名以上勤めており、診察を受ける医師は基本的に毎回異なる。

「胎嚢は確認できるが、心拍は確認できない。成長も遅い。仮に排卵が遅れていて、検査薬で陽性となった時点を最短の3w4dだったと仮定すると、本日は6w5d。胎児は2センチくらいの大きさになる時期だが、胎嚢がせいぜい2センチ程度で、胎児はもっと小さい。前回受診時に心拍確認できたとあるが、エコー写真を見てもこの胎嚢の大きさで心拍が確認できたのか、疑問が残る。まだ断定はせず1週間程度様子を見るが、出血も始まっており、流産の可能性がある。」

診察中にも出血は続いていた。もう流産は避けられないことが、すとんと胸に落ち、診察後には出社して普通に仕事をした。上司にはまだ妊娠報告をしていなかったため、いきなりの流産報告をすることになってしまった。

23 日(8w1d)は腹痛がひどく、幸い4連休の始まりだったこともあり、ほぼ1日寝ていた。出血量は生理2日目以上。つわりもまだあり、気持ち悪いわお腹は痛いわ赤ちゃんに申し訳ないわ、散々なはずなのに、情緒的には不思議なくらい安定していた。

24日、8w2d、朝目が覚めると腹痛もつわりもほぼ治まっており、もう終わったんだな、と直観的に感じる。朝から子どもと散歩に出かけ、帰宅してトイレに行くと、座った瞬間つるん、とカタマリが出てきた。10:30 ごろだった。かなり動揺しながら拾い上げた。2センチ×3センチくらいの、例えていうなら、レバーのつぼみのような何か。胎児そのものではないし、胎嚢にしても少し大きすぎるようで、何なのか判然としない。産婦人科に電話すると、カタマリ持参で受診するよう言われる。すでに子宮は空っぽ、カタマリは時間が経ってしまったこともあったようで、「胎児成分の反応は出ず」病理解剖へと回してもらうことになった。

初診から3週間。出血開始から5日目で、終わった。

 

雑感 

日本産科婦人科学会によると、全妊娠の15%、妊娠した女性の40%が流産しているとの報告があるという。

www.jsog.or.jp

1人目の妊娠の時から、少なくない流産の経験を周りから聞いていた。流産の可能性を医師から告げられた時点で、悲しみや寂しさ、無力感はあるものの、あまり抵抗なく事実を受け入れられたし、自分でも意外なくらい安定していた。

良い遺伝子をあげられなくて、きっと良質な卵子ではなくて、何もしてあげられないままお別れしてしまった我が子(とはっきり言うことができるのかすらわからない、小さな命)に対して、ごめんね、という思いはある。本当に、何一つできなかった。

一方で、彼あるいは彼女が私に残してくれたものは大きい。春に生まれる子を考えて過ごした、幸福な3週間の喜び。再確認できた息子(第一子)が生まれてきて成長していることの奇跡や彼と過ごす時間の大切さ。夫や実母、義実家が支えてくれることへの信頼と感謝。排卵・受精・着床までできたという事実(これはない人には全く関係ないだろうが、生まれてこのかた月経周期が不安定で基礎体温もイマイチで再び妊娠できる自信がなかったため、かなり強力)。生まれてくる子を思ってワクワクした時間は、流産したらかえって苦い思い出になりそうなものだが、意外なことにいっそうのきらめきを持って、私を支えてくれている。少なくとも今は。

今から思うところ、出産に至った第一子の妊娠との相違点がいくつかあった。これは決して、出産に至る妊娠と流産する妊娠との区別ではないが、自分のために記しておく。

基礎体温の不安定さ(第一子の時にはくっきりと高温相に移行し安定していたが、今回は上昇が緩やかで途中下がるなど不安定だった)

②つわりの軽さ(第一子では6週には通勤中に途中下車して吐いていたが、今回は8週の流産まで1度も嘔吐しなかった)

③マイナートラブルのなさ(第一子では体臭の変化・むくみ・足がつるなど細々したちょっと不快な変化があったが、今回は無かった/弱かった。)

④検査薬の反応の薄さ(写真なども撮っておらず客観的に比較できないが、同じ週数日数でもおそらく反応が薄かった)

基礎体温はあまりあてにならず、つわり皆無でも元気な子を出産している人も身近に複数人いる。繰り返しだが、これらは流産する妊娠の区別にはならない。

 

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空っぽの子宮を抱えた24日の夕方、ひまわりの花を買った。力強くい鮮やかな花ではなく、今の気持ちに寄り添ってくれる、少し細くて小さな花を選んだ。次の夏にはどんな生活を送っているか分からないけれど、もしまだ自力では立てない時があれば、何年後でもひまわりを飾って、彼あるいは彼女のことを思い出したい。