元日と、私を通り抜けるもの
2022年が始まった。
きょうの1日がなかなか現在の私を表現していた気がするし、元日というのはいつだってメモラブルなのでメモをする。
ーーー
夜間授乳で何度か起きながら、いつもと同じく7時ごろに子どもが起きたので私も起きる。
具材を入れ忘れたりちょっと焦げ付かせたりしたお雑煮や煮染めを食べて(長男は「コーンフレークがいい」というのでコーンフレークだった)、ばたばたと支度をして義実家へ。
義実家の家族はとてもやさしい。息子たる夫や孫である子どもたちだけでなく、嫁の私にも。
義実家ではおそらくけっこう高級なおせちを用意してもらって、子どもの相手をしながらちゃっかり自分の分はしっかり食べた。
途中でカフェラテ(授乳中の私用にはデカフェで作ってくれた)、アイスなどもいただきながら、長男と庭で遊んだり、ずりばいの次男を探検させて遊んだりする。
帰り道では、電車で隣のご婦人に乗り換えについて聞かれる。
曖昧な返事をしてもたもたとスマホで乗り換えを調べ始めたら、一緒にいた義妹夫婦がスマートにスムーズに調べてくれたので、それをご婦人にお伝え。
ご婦人は電車内でごきげんだった次男にみかんをくれたので、夕食後にもらったみかんを次男にむいてあげた。1個は多すぎるので、半分以上は私が食べた。
ーーー
自分は確かに存在しているのだけれど、基本的に子どもに振り回されていて、そして子どもをとりまく生活で善いものが私を通り抜けて、右から左へ、人から人へと伝わっていく。
そのおこぼれで、私も美味しいおせちやみかんを食べたりしている。
私は潤滑油、ではないけれど、透明人間とか穴の空いた器のような、媒体のような感覚が年々強まっている。小さな子どもがいるからなのか、それとも単体の私自身がそういう向きにあるのか、どちらか不明。
なれるなら、よい「土の器」になりたい。