森会長 女性蔑視発言に関して
「沈黙は賛同」という指摘に耳が痛い。
当方28歳女性、完全なレイシズムの被害者だと主張できる若者世代からは外れているが、声を上げられるほど強くもない。
森会長の「女性がいる理事会は時間がかかる」という発言の初報にも、いまの日本社会の現実が露呈したなと感じただけで、怒れなかった。
(女性は~~という女性蔑視と、時間のかかる会議は悪で話し合いの場とは形式を整えるのみ、という会議観の2つが、残念ながら日々直面している現実である)
それよりもミャンマーの軍事クーデターのほうが個人的には実存にかかわる大きな問題であるし、生活の面で夫が風邪症状のためPCR検査を受検、息子も保育園に登園できなくなったため、病人と2歳児と一つ屋根の下で在宅勤務という手一杯な状況だった。さらにプロボノで参加しているNPOでの活動もちょうど繁忙でやりとりが多く、キャッチアップで手一杯だった。
もっと怒って声を上げなければ、という意識はあるものの、圧倒的にキャパシティが足りない。
授乳やミルク回りでもそうだった。当事者でいる間はあまりに忙しくて社会で声を上げる余裕がなく、しかも余裕ができるころには当事者でなくなっているので、液体ミルクへの的外れな反対論や授乳室整備の遅れがいつまでもなくならない。
沈黙は賛同だ。それは事実。
声を上げる余裕すらないのも、また別の事実である。
多様な意見を吸い上げる仕組みが必要なのだろうけれど、その仕組みづくりをするにも、やっぱり余裕がなくても声を上げなければいけない。
微妙に重なり合ったプレッシャーが重くて、非常に苦しい。
復職1年目の雑感
まもなく息子が保育園に通うようになって丸1年が経つ。
沼① 保活
沼② 入園準備
沼③ 搾乳
沼の先の沼?
振り返り
流産その後
昨日受診し、流産後の通院がひとまず終了した。完全流産前に受けた血液検査の結果を受け取り、病理解剖の結果も「特に問題のある流産ではなかった」として、「1ヶ月から1ヶ月半ほどで生理があるだろう。次の妊娠は生理を1、2回見送ってから」との説明があった。
あっけないが、これで終わりとなってしまったので、備忘のためいくつか調べたことや考えたことをまとめておく。
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流産の種類
22週未満の妊娠終了は「流産」、22週以降37週未満の出産は「早産」とされる。
原因や症状、進行具合によって「人工流産」と「自然流産」、「稽留流産」と「進行流産」、「完全流産」と「不全流産」といった区別がある。
「切迫流産」は流産手前で、まだ妊娠継続できる可能性のある状態。
22週以降は、胎児が母体外でも生存できる可能性があるため、22週が流産と早産の境目になっている。
届出
22週未満でも、12週未満の「早期流産」と12週以降の「後期流産」が区別されており、後期流産では死産届が必要になるようだ。
また、胎児が短い時間でも母体外で生存していれば、死産届ではなく出生届と死亡届を同時に出すことになるという。死産届の場合は戸籍に残らないが、出生届と死亡届を出す場合は、戸籍に残るため、命名が必要になる。
なお12週以上の場合は、出産育児一時金の対象にもなっている。
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今回の妊娠中絶は、人工流産ではなく「自然流産」で、出血後の受診時は「切迫流産」としての診断書を書くこともできると医師から説明があり、その後子宮が空っぽになったことを確認した際には「完全流産」とカルテに記された。経過を追うと「進行流産」「不全流産」のそれぞれに当たる時期を経ている。
自然排出があったのが8週だったため、届出はなかった。
前述の日本産科婦人科学会のサイトによると、全妊娠の15%が流産、そのうち早期流産が80%以上を占めるというから、比較的よくある出来事だったのだろう。
ついついネットで体験談を探して読みふけっていたのだが、早期流産よりも後期流産、あるいは死産(それも臨月での)と、妊娠期間が長いほど悲しみも喪失感も深く、まだ傷は浅い方なのだと感じた。
(それでも、自分の悲しみはそれ自体として、なるべく等身大で受け止めたい。「自分より辛い経験をしている人がいるのだから、これくらいで落ち込んでいられない」という考え方をよくしてしまうのだが、そうすると押し殺した分の感情がいつになっても昇華されず、時間をかけてより拗れた形で出てくる。自分の感情を無理に小さくする必要も、大きくする必要もない。)
死産届の意義や行政上の役割については、まだ今ひとつ理解できていない。なぜ12週なのか。胎児が人らしいかたちになり、「遺体」として扱う必要があるのだろうか。死産届と、出生届+死亡届との違いも、定義としてはわかるような気もするが、ピンとはきていない。
母子手帳と受診票について
ところで母子手帳と合わせて交付される受診票の扱いについて、管轄の保健センターに問い合わせたところ、母子手帳も受診票も返却する必要はなく、個人で処分して良いということだった。
返却しなくて良いのは助かる一方、ちょっと疑問を持った。
乳幼児の虐待が発覚すると「予防接種を受けていない」「乳児健診を未受診」といった情報も合わせて報じられることがある。未就学、未就園でまだ集団に所属していない乳幼児の健康状態や生育環境を把握するために、公費で受けられる予防接種や健診の受診状況は、大きな手がかりとなる。未接種・未受診の子がいる家庭に対しては、自治体からアプローチがとられている(と認識しているが、実際どこまでフォローされているのかよく知らない)。
妊婦についても、未受診妊婦、いわゆる「野良妊婦」の問題がある。経済的・社会的な理由などで妊婦検診を受けられず、陣痛がきて救急車を呼ぶ、といったケースだ。
漫画「コウノドリ」でも第一話で取り上げられており、以下の産婦人科医による解説が非常にわかりやすい。
コウノドリ漫画1巻【第1話】産婦人科医が解説|産婦人科医とみー|note
未受診妊婦の中で、母子手帳が交付されていて未受診のケースは少ないだろうが、母子手帳交付時に受診票を渡して使って終わり、ではなく、受診状況をフォローアップしていくことで、困難を抱えた母子を早い段階で把握できるのではないか。第一子の妊娠期間中、受診票にはとても助けられたが、それでも健診だけで計7万円ほど手出しはあった(住民税非課税世帯などを対象にさらに助成制度はあったように記憶している)。経済状況によっては例え受診票があっても受診できなくなるとか、出産を前に子の父親との関係が変化して困難な状況に向かっていくとか、そういったケースもあるのではないだろうか。
流産しても返却不要、ということは、妊婦健診の受診状況はフォローされていないのだろう。また、基本的な住民情報と、母子手帳交付や乳児健診受診状況の情報、上の子がいる場合保育園の情報などが、どうも全て縦割りで繋がっていないようなのだが、これも串刺ししていけばリスクの迫っている世帯に早くアプローチできるのではないか。DV傾向のある同居人がいるシングルマザーで、第四子を妊娠、最近上の子たちが保育園を休みがち、など、レッドカードがなくてもイエローカードが集まっていれば支援の必要性について評価は変わるだろう(評価が変わっても、対応できる人員がない、そもそも評価する時間も人手もない、という状況かもしれないが)。
個人情報保護の観点や、考えの及ばないような自治体の事情もきっと多々あり、傍目にもスリム化でなかなか厳しいと思う。また現状や制度に関して理解不足の点が多々あり、あれこれ意見する前にもっと自分が知らなくてはいけない。
それでも、せっかく授かった命が健やかに育っていける、育てていける社会になっていってほしいし、自分にも何ができるのだろう、ということを考えている。
だらだらと書いてきてしまったが、第一子出産以来、キャリアや転職についても悶々としているため、それについては稿を改めたい。
流産についての私的な記録
2回目の妊娠で流産した。
生まれることのなかった彼あるいは彼女には、お墓もなく、戸籍も残らない。記憶が新しいうちに書き残しておこうと思う。
経緯
24歳で結婚、26歳で第一子を妊娠出産し、今回28歳で人生2回目の妊娠、8週で完全流産となった。
もともと生理周期は安定せず、第一子も授かるまで半年くらいかかっている。産後1年以上生理が再開しなかった。産後3回目にあたる生理が2020年5月末からあり、次の周期で妊娠した。6月末に検査薬陽性。7月11日に胎嚢確認・心拍確認(これについては疑問が残る。後述)、7月20日夕に少量の出血が始まり、7月24日に完全流産となった。
妊娠判明から流産まで
第一子が生後11カ月で卒乳し、産後1年と6週間ほどで月経が再開した。再開後から基礎体温をつけている(子どもの起床タイミングによってはくわえている体温計をもぎ取られるため、あまり信頼できる数字は取れていない)。
第一子出産前からそうなのだが、だいたい低温期が3〜4週間近く続き、高温期はなかったり6日程度で終わったりして月経が始まる。第一子妊娠の時には、半年ほど基礎体温を測っていて、はじめて2週間で低温期が終わり、はじめて迎えた高温期16日目ごろに妊娠の可能性に気づいた。今回は低温期がおそらく2週間程度で終わったことで、すでに淡い期待を持ちはじめ、4w3d(w=週、d=日。最終月経開始日からの日数。以下同)ごろにはフライングで検査薬を使った。その時にはかなり薄い反応だったため、4w6dで再度フライング。今度はそこそこの陽性反応だったため、夫に報告し、5w3dで産婦人科を受診した。
初回受診(5w3d、7月4日)では胎嚢が確認できず、1週間後(6w3d、7月11日)に再診、そして胎嚢確認、「心拍も見えますね」とのことで、母子手帳をもらうよう指示を受けた。予定日は2021年3月3日。心拍確認の翌週に保健センターで母子手帳をもらった。
7w5dにあたる7月20日、少量の出血が始まる。この時にはまだ、ちょっとしたトラブル程度で、数日後に完全流産する可能性はあまり感じていなかった。上の子を抱っこしてスーパーで米を買って帰る、上の子との遊びでステッパーを踏み込むなどしていたので、ちょっと無理だったかな、気を付けよう、という程度。
翌21日(7w6d)には出血量が増え、じわじわと流産を意識し始める。前日にはおりものシートを使っていたが、間に合わず、生理用ナプキンに変えた。鮮血あるいは赤黒い血で、ほとんど生理だった。
22日(8w0d)に受診。医師からは以下の通り話があった。なお、かかっている産婦人科には医師が10名以上勤めており、診察を受ける医師は基本的に毎回異なる。
「胎嚢は確認できるが、心拍は確認できない。成長も遅い。仮に排卵が遅れていて、検査薬で陽性となった時点を最短の3w4dだったと仮定すると、本日は6w5d。胎児は2センチくらいの大きさになる時期だが、胎嚢がせいぜい2センチ程度で、胎児はもっと小さい。前回受診時に心拍確認できたとあるが、エコー写真を見てもこの胎嚢の大きさで心拍が確認できたのか、疑問が残る。まだ断定はせず1週間程度様子を見るが、出血も始まっており、流産の可能性がある。」
診察中にも出血は続いていた。もう流産は避けられないことが、すとんと胸に落ち、診察後には出社して普通に仕事をした。上司にはまだ妊娠報告をしていなかったため、いきなりの流産報告をすることになってしまった。
23 日(8w1d)は腹痛がひどく、幸い4連休の始まりだったこともあり、ほぼ1日寝ていた。出血量は生理2日目以上。つわりもまだあり、気持ち悪いわお腹は痛いわ赤ちゃんに申し訳ないわ、散々なはずなのに、情緒的には不思議なくらい安定していた。
24日、8w2d、朝目が覚めると腹痛もつわりもほぼ治まっており、もう終わったんだな、と直観的に感じる。朝から子どもと散歩に出かけ、帰宅してトイレに行くと、座った瞬間つるん、とカタマリが出てきた。10:30 ごろだった。かなり動揺しながら拾い上げた。2センチ×3センチくらいの、例えていうなら、レバーのつぼみのような何か。胎児そのものではないし、胎嚢にしても少し大きすぎるようで、何なのか判然としない。産婦人科に電話すると、カタマリ持参で受診するよう言われる。すでに子宮は空っぽ、カタマリは時間が経ってしまったこともあったようで、「胎児成分の反応は出ず」病理解剖へと回してもらうことになった。
初診から3週間。出血開始から5日目で、終わった。
雑感
日本産科婦人科学会によると、全妊娠の15%、妊娠した女性の40%が流産しているとの報告があるという。
1人目の妊娠の時から、少なくない流産の経験を周りから聞いていた。流産の可能性を医師から告げられた時点で、悲しみや寂しさ、無力感はあるものの、あまり抵抗なく事実を受け入れられたし、自分でも意外なくらい安定していた。
良い遺伝子をあげられなくて、きっと良質な卵子ではなくて、何もしてあげられないままお別れしてしまった我が子(とはっきり言うことができるのかすらわからない、小さな命)に対して、ごめんね、という思いはある。本当に、何一つできなかった。
一方で、彼あるいは彼女が私に残してくれたものは大きい。春に生まれる子を考えて過ごした、幸福な3週間の喜び。再確認できた息子(第一子)が生まれてきて成長していることの奇跡や彼と過ごす時間の大切さ。夫や実母、義実家が支えてくれることへの信頼と感謝。排卵・受精・着床までできたという事実(これはない人には全く関係ないだろうが、生まれてこのかた月経周期が不安定で基礎体温もイマイチで再び妊娠できる自信がなかったため、かなり強力)。生まれてくる子を思ってワクワクした時間は、流産したらかえって苦い思い出になりそうなものだが、意外なことにいっそうのきらめきを持って、私を支えてくれている。少なくとも今は。
今から思うところ、出産に至った第一子の妊娠との相違点がいくつかあった。これは決して、出産に至る妊娠と流産する妊娠との区別ではないが、自分のために記しておく。
①基礎体温の不安定さ(第一子の時にはくっきりと高温相に移行し安定していたが、今回は上昇が緩やかで途中下がるなど不安定だった)
②つわりの軽さ(第一子では6週には通勤中に途中下車して吐いていたが、今回は8週の流産まで1度も嘔吐しなかった)
③マイナートラブルのなさ(第一子では体臭の変化・むくみ・足がつるなど細々したちょっと不快な変化があったが、今回は無かった/弱かった。)
④検査薬の反応の薄さ(写真なども撮っておらず客観的に比較できないが、同じ週数日数でもおそらく反応が薄かった)
※基礎体温はあまりあてにならず、つわり皆無でも元気な子を出産している人も身近に複数人いる。繰り返しだが、これらは流産する妊娠の区別にはならない。
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空っぽの子宮を抱えた24日の夕方、ひまわりの花を買った。力強くい鮮やかな花ではなく、今の気持ちに寄り添ってくれる、少し細くて小さな花を選んだ。次の夏にはどんな生活を送っているか分からないけれど、もしまだ自力では立てない時があれば、何年後でもひまわりを飾って、彼あるいは彼女のことを思い出したい。